東京湾防衛の要「砲台山」

三浦富士から武山に続くハイキングコース上に「砲台山」があります。昔は大塚山と言われていたそうですが、昭和初期に海軍が砲台を造ったことから「砲台山」と呼ばれるようになりました。
東京湾を行き交う船舶が見渡せるこの位置より、敵艦を砲撃しようとしたのでしょう。

山頂には、金網で囲まれた海上保安庁の武山受信所があり、パラボラアンテナがそびえています。

その横に、すり鉢状の砲台跡が今もきれいに残されています。すり鉢の中央には、かつて高角砲が据えられていたそうです。
側面に開けられた8個の四角い穴は、弾薬の格納庫と思われます。

明治新政府は東京湾防衛のため深田台地に砲台を新設、米ヶ浜砲台として明治24年、第1、第2砲台が竣工、海堡と共に我が国防衛の拠点として、太平洋戦争終結まで秘密のベールに包まれていた。日露戦争で旅順攻略に手を焼いた日本軍は明治37年砲台山にあった28サンチ榴弾砲6門を取り外して現地に送り、旅順港内の敵艦隊を壊滅させ、奉天会戦を容易ならしめて、陸戦勝利原因となった。大正12年以降は演習砲台となった。

横須賀市ホームページより

「武山」<==>砲台山分岐道

三浦富士~武山へ通じるハイキング道の途中に「砲台山」へ分岐があります。ここから右へ5分ほどで「砲台山」です。

すり鉢上の砲台跡

真ん中に砲台が備えられていたようです。周りの穴は弾薬庫だそうです。 かなり保存状態は良いです。でもここから実践で砲撃をしたことは、あったのでしょうかね。

これは一体何?

一見、何かの遺跡かなと思いましたが、どうやら照明灯が置かれていた台座だそうです。

山の上に海上保安庁の施設

海上保安庁と言えば海を守るための仕事。この記事を書くために調べるまで、このバラボラアンテナが海上保安庁の施設とは知りませんでした。毎日のように見ているのに、観察力無さすぎですね(泣)

この獣道のような細い道は、てっきりハイキング用の道かと思っていたのですが、「砲台山」に軍用資材を運ぶ為の軍用道だったのですね。現在は、海上保安庁の施設メインテナンス用の道路だそうです。

砲台山に上って当時を偲ぶ

「砲台山」は、砲台の跡があるだけで、他には目だった歴史遺産としてはありません。ただ砲台跡の底に立って、当時の様子に想いを寄せると、機械もない時代に、ここまで軍用資材を運びあげた苦労が、しみじみと感じます。
少し堅苦しくなってしまいましたが、次にくるときは、もっと「砲台山」の歴史を調べてから来たい。きっと同じ物をみても別の観点で見る事ができるでしょうからね。