世界三大記念艦「三笠」とは

記念艦「三笠」の由来

記念艦「三笠」は、明治37年(1904)に始まった日露戦争において、「『東郷平八郎』連合艦隊司令長官」率いる連合艦隊の旗艦船として、終始 敵の集中砲火を浴びながらも奮戦し、翌年の5月28日の日本海海鮮では、遠来からのロシア「バロチック艦隊」を対馬海峡で迎え撃ち、せん滅させる偉業を成し遂げた、日本海軍の代表的な軍艦です。 この日本海海戦での勝利は、日本の地位を世界に知らしめたばかりでなく、当時列強国に苦しめられていた、アジア諸国に希望を与える勝利でした。その偉業をたたえて、大正15年(1926)に記念艦として保存されてきました。

三笠の建造

「三笠」は、英国ヴィッカース社に発注し、1899年(明治32年)1月に起工。1902年(明治35年)1月に日本海軍に引き渡されました。引き渡しから約2カ月かけて横須賀港に到着したようです。建造費用は船体が88万ポンド(約1億3千万)、兵器が32万ポンド(4千400万)であったそうです。
当時としては、かなり高い買い物だったのでしょうね。

当時の艦長

日露戦争での「三笠」の活躍は「東郷平八郎 連合艦隊指令長官」ばかりがクローズアップされていますが、「東郷長官」は連合艦隊の長であり、「三笠」の館長ではありません。当時の「三笠」の館長は「地知 彦次郎(いぢち ひこじろう)」という海軍中将でした。

現役引退

大正12年(1923)、関東大震災により岸壁に衝突し、当時修理中だった部位が大きく破損し、大浸水を起こしそのまま動けなくなり、海軍より除籍されたようです。

保存の動き

大正12年9月、艦齢の古い「三笠」を軍艦籍から除き廃棄することを決定しましたが、日露戦争の勝利に貢献した戦艦「三笠」を、独立を守った誇りの象徴として永久に残すべきとの声が内外で高まり、記念艦としての保存が閣議決定されました。当初は東京芝浦に廻航する予定でしたが、横須賀港に係留中、 関東大震災で艦底に破孔が生じ浸水したため、急遽横須賀に置くことに変更されたようです。 大正14年6月、保存工事を終え、現在の場所に引き入れられました。

遊行施設と化した哀れな「三笠」

太平洋戦争に敗れた日本に、連合軍は軍備を弱体化するための政策を進め、ソ連代表は記念艦「三笠」を解体するよう強硬に要求しました。米海軍司令部はソ連の解体要求と日本側の保存要請を考慮し、妥協策として「三笠」の艦橋、大砲、煙突、マストなど上甲板構造物を撤去することを条件として、横須賀市に「三笠」の保存・使用を許可しました。ところが、横須賀市から「三笠」及び周辺地の使用を委託された民間企業は、上甲板構造物を撤去した跡に、水族館、ダンスホールなどを設け、「三笠」を遊興施設に変えてしまったのです。遊興施設は一時賑わいを見せたものの次第に客足が遠のき、「三笠」は手入れされることなく放置され、錆まみれの哀れな鉄屑同然になってしまったのだそうです。

「三笠」復元

昭和30年(1955)、英字新聞「ジャパンタイムス」に「三笠」の惨状を報じられると、内外に大きな反響を呼び、同じ思いを抱いていた政財界や旧海軍の枢要な人々が立ち上がり、昭和33年11月、三笠保存会が再興され、全国的な規模で「三笠」復元運動が始まりました。そして 内外の募金や、国の予算とにより復元工事が実施され、記念艦「三笠」は往時の姿を取り戻したのです。

記念艦「三笠」の内部見学

記念艦「三笠」の内部見学をしてきました。入り口に30分コースと60分コースとありますが、特に時間に制限があるわけではありません。管理人は撮影しながら回ったので100分ほどかかりましたよ(笑)。

舷門(入口)

上甲板

後部甲板30センチ砲

舷門をくぐって、受付の係員に入艦券を渡し、いきなり目に飛び込んでくるのが、後部甲板30センチ砲です。近くでみるとさすがにでかい(@_@)。

無線電信室

日本海海戦当日、信濃からの「敵艦見ゆ・・・・・・」の無線電信を、この部屋で受信したそうです。その瞬間の通信兵の気持ちはどんなだったでしょうね。

上甲板8センチ砲

上甲板両舷に展示された8センチ砲。砲身は、観覧者が自由に変えられます。現役当時は20門あったそうですが、現在は10門です。

大砲操作の様子

15センチ砲室のジオラマ

15センチ砲室の様子。この砲室には10名の兵員が配備されていたそうです。砲弾装填など全て手作業だったのですね。

釣床(ハンモック)。砲員はここで就寝、食事、砲の手入れをして、砲撃に備えたそうです。

前甲板30センチ主砲

最大射程約1万m、口径30センチの手法が2門装備されています。射程距離1万mって言うと10km・・・意外と短いんですね。

艦前部からみた主砲。

艦橋

艦橋には、操舵室、最上艦橋、司令塔があり、ここで全ての指揮をとっていました。

操舵室

羅針儀と操舵輪は日露戦争時時に装備されていた実物です。通信機は模造。

最上艦橋

東郷司令長官らが、戦闘の指揮をとっていた場所です。艦橋に立つと当時の情景が目に浮かびます。

東郷司令長官らが立っていたプレート
指令塔

35cmの厚い鋼板で囲まれ、中には磁気羅針儀、操舵輪、速力指示器が装備されており、司令長官、艦長等が敵弾から身を守りつつ戦闘を指揮し、艦を操縦するところです。

海図室

航海に必要な海図、信号旗、六分儀、晴雨計などの図書や計器が置かれていた場所。行動中の出来事など航海日誌もここで書かれました。

中甲板

中甲板は、主に長官室や艦長、士官などの幹部の生活や作戦会議室などが置かれていました。中央には「中央展示室」が設置されています。

中央展示室

日本海海戦、黄海海戦などの写真、バルチック艦隊の回戦、当時活躍した人々などの様子が展示されています。

子供たちの展示室

海戦を理解できるように、目の前に映し出されるスクリーンを操作しながら体験できます。これなら子供たちも楽しみながら海戦を感じられるでしょうね。

メインエンジン

「三笠」の動力となるエンジンは公開されていませんが。メインエンジンは蒸気機関で、ボイラーで発生した高圧蒸気をメインエンジンのシリンダーに送り、ピストンを動かすしくみです。当然、燃料は石炭です。

士官たちの生活圏

司令長官

司令長官公室

来客の応接、作戦会議などに使われた部屋です。バルチック艦隊の降伏文書調印もこの部屋で行われたそうです。

司令長官居室

東郷司令長官が執務された部屋。後方には明治天皇のご遺影の写真が飾られている。

長官寝室

東郷司令長官の寝室。ベッドは意外と小さく感じました。長官は小柄だったのでしょうかね。

バスルーム

司令長官専用のバスルーム。意外と小さいですが、コンパクトにまとまっています。

東郷長官の遺髪

東郷長官の遺髪が納められています。

士官室

大尉から中佐までの士官(士官室士官)が、担当する砲術、航海、機関などの職務や分隊人事等の事務を行い、会議や食事の場所としても使っていました。

食器室

士官用の食器が置かれていた場所のようです。

艦長バスルーム

「三笠」艦長のバスルーム。長官専用バスルームとはだいぶ差があります。

その他の展示写真

管理人が興味を持った写真をお見せしますね。

上甲板

30センチ主砲の砲丸

後部甲板主砲横に展示してある、30センチ主砲の砲丸。管理人の胴回りよりも太かった(笑)

三笠グッズ

Tシャツ買いたかった(^^♪

中甲板

参謀長寝室

士官の制服やその他の展示室になっていました。

「三笠」案内

地図

赤いポイントをクリックすると「説明文」が表示されます。

料金及び時間

三笠閲覧料金

 一般  600円
 シニア(65歳以上)  500円
 高校生  300円
小・中学生 無料
障害者(介護者2名まで) 200円

団体割引(20名以上)

一般 500円
高校生 200円
小・中学生 無料

閲覧時間

  • 4月~9月    : 09:00~17:30
  • 3月・10月  : 09:00~17:00
  • 11月~12月 : 09:00~16:30

※年末(12月28~31日)は休艦日

その他

  • 車椅子貸出し有り(4台準備)
  • 介助犬とともに入艦可
  • コインロッカー(無料)が第1ビデオ室にあり
  • 飲食設備無し、持込飲食は上甲板(椅子有り)で可
  • 近隣の駐車場をご利用。
  • 他の見学者の迷惑にならない範囲で撮影可

記念艦「三笠」観覧のおすすめポイント 記念艦「三笠」は日本海海戦のおける勝利のシンボルであると同時に、明治日本の精神のモニュメントです。平成17年は日本海海戦100周年を契機に展示室の大改装を行いました。記念艦「三笠」を訪れ、艦内の歴史的資料に触れたり、艦橋に立って当時の熱い想いを感じることができるでしょう。そして、三笠公園は横須賀を代表する公園です。「三笠観覧」のついでに、光と水をテーマとした、都市型公園「三笠公園」も周れることが売りですね。